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言語的不自由

言語的不自由

某商社の仲良いお姉さんとの対話の中で、示唆に富む助言を賜りました。私が物事を深く考えすぎる傾向があるため、頭の中がぐっちゃんこだから、一度英語で思考を巡らせてはどうかと提案されたのです。

日本語を母語とする私にとって、英語での思考は確かに束縛を感じます。しかし、その束縛ゆえに単純明快な考え方ができるのではないかという意図だったようです。

マントラの概念や精神現象学の視座から見れば、言語は単なる意思疎通の手段ではなく、私たちの思考や経験を形作る枠組みであることに気づかされます。マントラは言葉の意味を超越し、純粋な音の響きやリズムを通じて心の深層に働きかけるのです。同様に、慣れ親しんだ言語から離れ、不自由な言語を使うことで、私たちは言語に付随する固定観念や意味の束縛から解放されるのかもしれません。

アンドレ・ブルトンのエクリチュール・オートマティックや、柄谷行人の『意味という病』あたりを、言語の枠組みを超える試みとして参考にし、英語で物事を考えるとどう変わるのか、新たな視点を取り入れていきたいと思います。