週末に八王子の富士美術館にて写真家ロバート・キャパの展示を鑑賞しました。あまりにも有名な『崩れ落ちる兵士』といったスペイン内戦の一枚や『D-デイ、オマハビーチ』から漂うノルマンディー上陸作戦の血煙臭い戦場の只中の記録、さらには中国、日本、フランス、イタリアなど各地の風景と人々、トロツキーや蔣介石といった有名人、キャパが切り取った時点に凝縮された歴史は鋭い批判力を持ち、私たちに正々堂々たる問いを投げかけるのです。
今の私たちは、現代史に関しても俯瞰できる立場にありますが、当時の知識人たちは自己嫌悪に陥り、天皇にも戦争責任が追及され、弁神論的に俯瞰することは許されず、全てを自分たちの責任だと背負い込みました。すべてを自分事として捉えることが必ずしも良いことだとは思いませんが、それでもやはり無関心は許されず自分事として捉えてみよう、そんな気分になります。アンガージュと言ったら少し大げさですが、そんな気持ちです。
ウィンストン・チャーチルの回顧録や小熊英二の著作を精読することで、さらに掘り下げていきたいと考えています。
・キャパが切り取った時点に凝縮された歴史
博物館もそうですけど、歴史は面白いなーとつくづく実感しました。
・当時の知識人たちは自己嫌悪に陥り、天皇にも戦争責任が追及され、弁神論的に俯瞰することは許されず、全てを自分たちの責任だと背負い込みました
獄中非転向を貫いた旧左翼が焼け太りしたのも、時代背景を顕著に表していますね。