一週間ほど、日記をサボってしまいました。習慣が一度崩れると、糸くずのように、解れていくばかりです。
先週、江藤淳の『成熟と喪失』に通じる出来事がありました。その影響で、吉行淳之介や小島信夫の諸作品、小熊英二さんの『民主と愛国』、また大塚英志さんや宮台真司さんあたりのサブカルチャー系の書籍、消費社会論等々の解像度が一気に上がりました。全てがネットワーク的に繋がっていく感覚を覚えました。
姪と関係を持った老獪な偽善者程の放蕩無頼な悪行ではございませんが、今の時代ですと誤解される可能性もあるので、具体的な内容はここでは控えます。それは知的好奇心を大いに刺激する出来事で、吉行淳之介と小島信夫、マルティン・ブーバー、江藤淳、三島由紀夫、村上龍、庄司薫等のサリンジャーの系譜、彼らの世界が混然一体となって私の目の前に理論と実践を提示しました。
上記の理論と実践を通じて、生まれたての赤子のように世界を見つめ直し、空っぽでい続けることで、実存に迫る。それが、私の本質に沿った生き方なのかもしれません。